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どうすれば人は変われるの?

基本的に僕は、「このままじゃ嫌だ、納得できない。変わりたい、突き抜けたい!」といつも悶々としている。

理想のゴールが明確ってわけではないけれど、どう考えても(真剣に考えるまでもなく)今の自分が理想からかけ離れているのはわかっている。このままでは絶対に終われないと。

先日、三越銀座でタークのフライパンを買ったついでに「自分を変えるヒントになる良い本ないかぁ~」と、近くの書店でブラブラしていたところレジ前で平積みになっていた以下の本が目についた。

嫌われる勇気 – 岸見 一郎・古賀 史健(著)

パラパラめくってみたら良さそうだったので買って帰って2回ほど読んだ。現状と今後の自分に必要だと思った箇所を以下に書き留めておく。

  • 問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるか
  • 自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定する
  • 大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか
  • これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない
  • 健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの
  • あなたの顔を見た他者がどう思うのか。これは他者の課題であって、あなたにどうこうできるものではありません
  • 他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない
  • あなたのことをよく思わない人がいても、それはあなたの課題ではない
  • 問題はわたしが決心するかどうかであって、対人関係のカードは常に「わたし」が握っている
  • 自己への執着(self interest)を、他者への関心(social interest)に切り替えていく
  • 人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる
  • 人は、「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる
  • 交換不能なものを受け入れること。ありのままの「このわたし」を受け入れること。そして変えられるものについては、変えていく”勇気”を持つこと
  • 他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるもの
  • 幸福とは、貢献感である
  • 「いま、ここ」が充実していれば、それでいい
  • 過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない
  • 遠い将来に目標を設定して、いまはその準備期間だと考える。「ほんとうはこれがしたいけど、やるべきときがきたらやろう」と考える。これは人生を先延ばしにする生き方
  • 人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないこと
  • 「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい

で、「どうすれば人は変われるの?」に戻る。

この本(アドラーさん)によると、

  1. 変わるには勇気が必要
  2. その勇気は、「自分には価値がある」と思えたときに持てる
  3. その自分の価値は、「(自分は)共同体にとって有益」だと思えたときに実感できる
  4. 共同体にとって有益だと思えるには、見返りを求めない他者貢献が必要

ということらしい。つまり、人が変わるには他者貢献がスタート。

もっと細かく言うと、他者貢献するには自己受容と他者信頼が必要とのこと。その自己受容では、変えられるものと変えられないものを見極める必要があるとのこと。

でも、変えられるものと変えられないものを見極めるのは結構難しいと思う。

例えば、顔が嫌いなら整形手術で変えられる。低身長で悩んでいるならイリザロフ法で身長は伸ばせる。性別だって性別適合手術で変えられる。でも、それらの負担や苦痛やリスクは引き受けなくてはならない。変えたいし、変えれなくないわけではないけど、どうしよう…。

ほら、変えられるものと変えられないものを見極めるのは結構難しい。

このように細かく掘り下げてしまうとゴールからどんどん遠くなっていってしまうので、他者貢献がスタートでいいと思う。ちなみにアドラーさんの言う他者貢献には道徳的な意味は全くなく、あくまで手段です。

勇気を手にいれるための手段、自分を変えるための手段。ここはとても興味深い。

でも正直なところ、僕はこれまで他者貢献をしたこともしようとしたこともないので、見返りを求めない他者貢献により自分は共同体にとって有益だと知り、それなら自分には価値があると実感し、ついには変わることのできる勇気が持てる、というイメージがちっとも沸かない。

そもそも勇気って、何かをした結果として持てるようになるのではない気がする。何かを切り捨てること=勇気だと思うから(※切り捨てるのに必要なのは覚悟で、切り捨てた結果を後付けで勇気と呼ぶ)。

アドラー心理学は「勇気の心理学」と呼ばれているらしいけれど、その肝心の勇気についての解説がこの本では足りていない。青年が哲人に挑発的な議論を吹っかけてはすぐに丸め込まれてしまう展開が微笑ましくて面白いのだけど、もっと勇気について突っ込んで欲しかった。

続編の「幸せになる勇気」を注文したので、この辺りがクリアになることを期待したいと思います。

追記:2016年5月2日

「嫌われる勇気」の続編が届いたので、2回ほど読んだ。

幸せになる勇気 – 岸見 一郎・古賀 史健(著)

結局、僕が期待していた答えはどこにも書いてなかった。

「変わりたいけど変われない、人はどうすれば変われるの?」に対する答えが知りたかったのだけど、アドラーさんの答えとしては、「本当は変わりたくないから変われないのです。勇気を出してください」で終わってしまった。

「変われない原因があるのではなく、変わりたくない目的がある」の目的論はわかる。わかるというのは、原因論が間違っていて目的論が正しいという理解ではなく、目的論を選択した方が建設的であるという事実だ。

とはいっても、実際に変わるのは怖いし、可能性の中に生きていく道を絶たれ残酷な現実を突きつけられるのも怖い。

なので、「勇気はどのように得ることができるのか?」を知りたかったのだれど、どうやら勇気は振り絞るだけのことらしい。

いや、注意して読むと「嫌われる勇気」に書いてある。先に紹介した以下のロジック。

  • 変わるには勇気が必要
  • その勇気は、「自分には価値がある」と思えたときに持てる
  • その自分の価値は、「(自分は)共同体にとって有益」だと思えたときに実感できる
  • 共同体にとって有益だと思うには、見返りを求めない他者貢献が必要

先日、他者貢献がスタートでいいと書いたところだけど、続編の「幸せになる勇気」ではこんな一文があった。

  • 利己心を追求した先に、「他者貢献」がある

これは、昔からの僕の考え方そのままです。

「他者貢献」とは、結果です。なぜなら、「他者貢献しよう、他者貢献したい、誰かの役に立ちたい」という気持ちや考え方自体、そして実際の行為・行動も、所詮自己満足(利己心)に過ぎないからです。

となってくると、「自分を変えたい、変わりたい!」と願うなら、(難しく考えずに)「自らの欲望を真摯に受け止め、正直に全力で追求すること」が答えでいいのだと思う。これが2冊を読んだ僕の答え。

本気で求めているのなら、勇気なんていらないんじゃないかな。

「幸せになる勇気」も心に響いた箇所を以下に書き留めておく。

  • 自分の言動、そして他者の言動を見定めるときには、そこに隠された「目的」を考える
  • これからどうするか
  • 「変えられないもの」に執着するのではなく、眼前の「変えられるもの」を直視する
  • 傷つくことを逃げている
  • 自分を愛することができなければ、他者を愛することもできない。自分を信じることができなければ、他者を信じることもできない
  • 他者があなたのことをどう思うのか、あなたに対してどんな態度をとるのか。これはいっさいコントロールできない、他者の課題
  • 愛することは、あなたの課題です。しかし、相手があなたの愛にどう応えるか。これは他者の課題であって、あなたにコントロールできるものではありません
  • 目の前に愛すべき他者がいるのに、あれこれ理由を並べて「この人ではない」と退け、「もっと理想的な、もっと完璧な、もっと運命的な相手がいるはずだ」と目を伏せる。それ以上の関係に踏み込もうとせず、ありとあらゆる候補者を、自らの手で排除する
  • やるべきことはひとつでしょう。そばにいる人の手を取り、いまの自分にできる精いっぱいのダンスを踊ってみる。運命は、そこからはじまる

興味深かったのが、最終章の「第五部 愛する人生を選べ」です。

この最終章は、「愛」について語っているのですが、アドラーとエーリッヒ・フロムを咀嚼した岸見一郎さんの見解になっているようでした。

愛とは「ふたりで成し遂げる課題」であり、そこでは「わたし」の幸せでも「あなた」の幸せでもなく、「わたしたち」の幸せを追い求めなければならない。そのときはじめて、われわれは「わたし」から脱却できる。自己中心性から解放され、ほんとうの自立を果たすことができる。

総括的に概ね僕が認識している「愛」と相違はなかったのだけど、疑問を感じたのは、「愛することで自立ができる」という点です。

愛が先で自立が後らしいのですが、僕個人は「自立のできていない人間が人を愛するはできない」と考えます。つまり、自立が先で愛が後です。

それと愛を語っている中で、(当然のように男女1対1の)結婚が前提にあって、その結婚後の愛を語ってる点が時代錯誤かなと感じました。

そもそも愛と結婚は関係がありませんし、愛は一夫一婦制・一夫多妻制・一妻多夫制などの形態に制約を受けるものでもないからです。

これにてアドラーさんは卒業!

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