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2014年6月終了のお知らせ

2014年6月度の月間結果報告です。

6/12の夕方、銀座で借りていた恐怖物件から逃げるように脱出しました。この部屋、本当に恐ろしいです。当初は、6月末までの退去予定でいたのですが、新たな体調の変化に気づいたため、一目散に出払いました。

この部屋を借りて1ヶ月を経過した頃より、慢性的な頭鳴り(酷い時は頭痛も)と右耳の耳鳴りに悩まされ続けているのですが、もちろん僕も最初から、「この部屋が原因」と決めつけていたわけではありません。

ただ、ここに住居を移してから体調が崩れていったのは<明らかな事実>でしたので、5月は京都と湯河原の2度生活環境を変えて体調の変化を観察していました。そして、6月に入った直後の2~7日にも、今度は新潟の越後湯沢へ(療養も兼ねて)体調の変化を観察しに出かけてきました。

頭鳴りと耳鳴りの症状が和らぐのは京都や湯河原の時と一緒でした。しかしながら、このあたりの微妙な症状の変化は、自分自身でもどこかで「気持ちの問題ではないだろうか?」という疑問を払拭できずにいました。

ですが、この3度目の観察では、明らかな体調の変化に気づくことができました。それは、耳裏の付け根の痛みが消えていたことです。

銀座から越後湯沢へ出かける前には、両耳を手で覆ってしゃがみこんでしまうくらい痛いこともあったのですが、越後湯沢に来て3日目を経過する頃には、この耳裏の付け根の痛みはいつの間にか消えていました。

気になっていた症状が1つ減ったことでホッとしていたのも束の間、恐怖を覚えたのは、銀座へ帰宅して1泊目で、また耳の裏に熱を伴った強烈な痛みが復活したことです。この部屋に原因があると確信した瞬間でした。

また、もうひとつわかったことがあります。最初の観察地である京都と今回の越後湯沢では、滞在直後の2日間、何もできないほどにグッタリとして寝続けている自分がいました。「療養に来たのに余計に具合が悪くなってるじゃん」と思ったりもしたのですが、後になって、「銀座の部屋では熟睡することができずに疲れが溜まっていたから」と腑に落ちたのです。

「一刻も早くここを出なくてはいけない」と、急いで引越業者を決め、11日には新居の契約を済ませ、翌日の12日には転居をしています。すると、転居後のやはり3日後には、耳裏の付け根の痛みは消えていきました。

ただそこで日常生活を送っているだけで、身体が壊れていってしまう恐怖。本当に恐ろしい、怖すぎる。14日には、引渡の立会であの部屋に戻らなくてはならなかったのですが、部屋に居るのがたまらなく嫌でした。

僕は、携帯基地局か官公庁無線のマイクロ波(高周波電磁波)が怪しいと睨んでいるのですが、その他のよくわからない電波だとか超音波だとか、とにかく何か身体によろしくない目に見えないものが、あの辺りの上空で交錯し、僕が借りてしまった部屋に影響を及ぼしていると考えています。

以下の写真の景色を眺めてしまっている方は、健康にご留意ください。

銀座の恐怖物件

世にも不思議な3つの出来事

全国を転々とするノマド生活にも疲れてきた頃、「東京で勝負しよう!」と、希望と決意を胸に銀座でオフィス件自宅を構えたわけですが、結局のところ3ヶ月も持たずに心身を消耗し、等々力渓谷に近い世田谷区の閑静な住宅街に佇むデザイナーズマンションに身を移すことになりました。

さて、少し過去を振り返ってみると、銀座のあの部屋は入居直後から信じられないようなトラブルの連続でした。詳細は過去記事を読んで欲しいのですが、その後にもエアコンをつけると、茶色い液体がピュッピュッピュッピュッと吹き出してくるというトラブルも新たに発生していました。

アレもコレもで、相当イライラさせられたものですが、今となっては、僕の転居を後押ししてくれていたように思えてなりません。

「とにかく早くここを出ていきなさい」と。

僕はスピリチュアルには興味はないし、「全ての出来事に意味がある」とは思えないのですが、「全ての出来事に意味を見出すことができる」とは思っています。つまり意味は最初からそこにあるものではなく、自分で創造するものであると考えているのです。自分の人生の意味だってそう。

銀座にオフィス件自宅を構えてからというもの、今思うと不思議な出来事が続いていたのですが、その中でも特に印象的なものは次の3つです。

  • 会社の実印のこと
  • 梁の音のこと
  • 献花が動いたこと

会社の実印のこと

<不思議な出来事その1>は、法人実印が消えてなくなってしまったことです。僕は几帳面で整理整頓を好む人間なので、例えば探し物が見つからないとか、大切なものを紛失してしまうとか、まず記憶にありません。

ところが、引越直後に銀座の新居へ本店を移転登記しようとしたところ、会社の実印が見当たらないのです。まさか捨ててしまうことは有り得ないので、紛失したとしか考えられないのですが、実印をなくしてしまう自分が今でもとても信じられません。「まさか実印をなくすか?」と。

先輩との電話で、「オーパーツみたく時空を超えて実印がどこかにテレポートしてしまった」と冗談交じりに話していたことを思い出したのですが、もし実印があって本店移転が済み、諸々の事務手続きが完了していたら、転居に迷いや抵抗が生じさらに健康を害していたのかも知れません。

ちなみに実印を作り直しているうちに、梁の音の問題が発生し、その後移転登記は保留にしていました。

梁の音のこと

<不思議な出来事その2>は、入居直後から僕を悩ませ続けた避雷針のボルトの緩みによる例のシャカシャカ音です。この音の原因に徐々に迫っていく中で、屋上の携帯基地局とマイクロ波の存在に辿り着いています。

このシャカシャカ音がなければ、屋上に目を向けることもなく、目に見えない存在に今もなお、ジリジリと健康を蝕まれていた可能性が高いです。

たまたま最上階の僕の部屋の梁の上に避雷針が設置されていて、たまたまその避雷針のボルトが緩んでいて、風の吹く強さや方角によってその緩んだボルトが擦れて、シャカシャカシャカシャカという不快なノイズを、深夜日中を問わず僕の部屋に迷惑にも、たまたま響かせてくれていました。

この現象自体も不思議なのですが、さらに不思議なのが、越後湯沢から帰宅してから引越までの最後の5日間に全く音がしなかったことです。「たまには迅速な対応をしたのかな?」と転居直前に管理会社に電話で確認してみたところ、「まだ避雷針の修理工事はしていない」との回答でした。

献花が動いたこと

<不思議な出来事その3>は、献花がなぜか動いていたことです。別にオカルトな話ではないのですが、やはり不思議で不思議でたまりません。

まだ僕が引越を完全に決め兼ねていた5月末のことです。ある日の昼間、救急車のサイレン音が僕のマンション付近でしばらく鳴っていました。

その翌日、首都高を横断するためにかけてある通行用の橋の歩道に、献花の花束と飲み物が添えられていることに気がつきました。理由は不明ですが、どうやらこの場所でどなたかが亡くなられたようです。

僕のマンションのすぐ斜め左10~15メートル先にかかっている橋ですので、道行く人々はやはり気になるのか、献花をジーっと眺めながら足早に歩いていく様子が、僕の部屋から見下ろすことができました。

その確か3日後の深夜3時過ぎのことです。

熟睡できずに目が醒めてしまった僕は、ミネラルウォーターを買いに上着を羽織い近所のコンビニに出かけました。そして、1階のエントランスを出た瞬間、僕は反射的にゾクッと身震いすると同時に足が止まりました。

先の献花が、なぜか僕のマンションのエントランス横の石垣にひっそり立てかけてあったのです。多分、酔っ払いか住所不定の方が、意味もなく献花を手に取り、意味もなくたまたまその場所に置いていったのでしょう。

ですが、「なぜ僕の住むマンションに?」、「なぜこのタイミングで?」と思うと、不思議で不思議でたまらなくて意味を求めてしまうのです(※ちなみに越後湯沢から帰ってきたら献花はなくなっていました)。

僕はこのような不思議な現象の数々から、僕なりの意味(メッセージ)を勝手に見出して、今に至っております。

僕はジョーカーを引き続ける

さて、無事に引越も済み、「よかったよかった」で終わりたいところでしたが、終わりません。僕はジョーカーを引き続けています。

先に結論を言うと、7月中に再度の引越をすることになりました。
(※詳細は長くなってしまうので別の日記で書きますが、引越し当日の深夜には、「ここ無理だ」と頭を抱えることに…)

「コイツどんだけ引越下手やねん」と思われるかも知れません。僕自身もヘタこいている自分にうんざりします。しかしながら、どれだけ用意周到に物事を進めていても、上手くいかないときはいかないもので、反対にどれだけ適当に物事を進めていても、上手くいくときはいくものなのです。

僕は転居をして気分や発想を変えることが好きで(というか同じ場所に何年も居ることが耐えられない)、高校卒業後から今日までで、数えてみたところ21回の転居をしています(※マンスリーマンション等を含む)。

それだけ引越をしていても、早く心身の平安を確保したいこの大切な時期に、絶対に失敗したくないこのタイミングで、見事に失敗をするのです。

僕は神様とババ抜きをしていて、確かに僕は自分が引くカードを自らの意志で選ぶことができます。一番左のカードを選択してもいいし、真ん中でも、一番右のカードでもいいのです。フェイントをかけた心理戦もありです。

しかしながら、実は神様の手の内のカードが全てジョーカーだったらとしたらどうでしょうか?僕は自分の意志や努力によってどんな選択をしたにも関わらず、結果は変わらずジョーカーを引くのです。

しかも、仮に全てのカードがジョーカーだと知っていても、人生というゲームを続けるためにはカードを引かなくてはなりません。これがいわゆるツイていない状態です(この話にピンとこなくても麻雀に嵌った経験のある方であれば、不思議なゲームの流れを何度も実感したことがあるハズ)。

そして、このような大きな流れには人間は逆らえません。我武者羅に抵抗するのは自由ですが、この流れは変えられないのです。だから観念して現状を受け入れ、忍耐に徹し流れが変わるその時を待った方がいい。これは僕の人生経験からの考え方ですが、間違っていないと思っています。僕は、次に来る大きな流れ(機会=チャンス)を虎視眈々と狙い続けます。

また、この大きな流れに意味などありません。ただこういった流れ(バイオリズム)があるだけです。一般に運勢などと呼んでいます。

原因と結果の法則だとか因果応報だとか言う人は、ちょっと怪しい新興宗教的であり、また傲慢な考えを持った方に見えてきます。そのような意味を見出すのは自由ですが、第三者に主張するのはNGです。

だってそもそも宇宙が存在して広がっていくことに意味などありませんし(あるのかも知れませんが人智の範疇を超えた存在に対し人間が意味を知り制限だらけの言語で表現することなど不可能)、地球という小さな星を征服した人間が勝手に決めた善悪の基準なんて、宇宙にしてみたら全くどうでもいいことであったり、正反対ですらあるのかも知れませんよ。

2014年7月度の展望

まだわからないけれど、東京は離れていると思う。ここのところ結構難しい展開に遭遇しているけれど、食欲が変わらず旺盛なのは救いだわ。

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