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孤独死こそ尊く、そして美しい

結婚しないことのデメリットとして取り上げられるものに、孤独死があります。

昔読んだ自己啓発系の書籍では、「どのような死を迎えたいのか?」といった人生のゴール設定があって、確かその本では孫や曾孫を含む愛する家族や親戚、そして幾人もの素晴らしい友人・知人に囲まれて、皆に惜しまれつつ温かく看取られて、「私の人生は幸福だった…」と心穏やかに天国に旅立っていくことが理想のように書かれていました。

そしてこれは印刷されていたわけではありませんが、行間を読む限り間違いなく、「生涯独身で誰一人として看病に来ないような人間の最期は、とても惨めで寂しく、同情の余地すらない人生の落伍者です。」といった著者の思想がしっかりと刻み込まれておりました。

また別の著者の書籍では、これと同じようなことを恥ずかしげもなく文章にしておいて、「不憫に思う」と勝手に患者を不憫な人間に決めつける想像力と思考力の欠如した医師(万年勤務医)もいて心底呆れてしまいました(こんな医師だけは勘弁してもらいたい)。

ちなみにこの勤務医のタイトルも忘れた駄本は、各章末に安っぽいお涙頂戴コラムが挟み込まれており、「こいつとことん薄っぺらいヤツだな」と思ったものですが、困ったことにAmazonのレビューを見てみると、この医師同様に薄っぺらい人生を歩んできた人間の「共感しました!感動しました!(涙)」系の高評価レビューが並んでいる始末でした。

この自己啓発系商売人も、この万年勤務医も、Amazon高評価レビューの投稿者も、これまでずっと「嘘・偽り・ごまかし」の人生を生きてきて、おそらくこれからも「嘘・偽り・ごまかし」の人生を生き続け、そして「嘘・偽り・ごまかし」の真っ只中で、その表面的な人生の絶望的な薄っぺらさに最後の最後まで気がつくことなく、しかしながら本人はそれなりに幸福に人生を終えていくものだと思います。なんとも羨ましい限りです。

人は絶対的に孤独である

まず、人は絶対的に孤独です。ここをごまかしていては話が進みません。

僕もあなたも、この残酷な世界にたった一人で生まれてきて、そしてそう遠くない将来にたった一人で死んでいきます。このことは1ミリも疑いようのない事実であり真実です。

これが理解できない人や本当はわかっているけど直視できない人・直視したくない人は、「嘘・偽り・ごまかし」の人生を生きていくことになります。その方が楽だからです。

「いや、生まれてくる時は母親がいるし、死ぬ時だって愛する家族に囲まれていれば孤独ではない!(怒)」といった風に、これまでにたったの一度も自分の頭を使って真剣に、「生」や「死」について考えたことのない人が、自己啓発系商売人のカモとなり、万年勤務医の安っぽいお涙頂戴コラムに感動して高評価レビューを書いてしまうのです。

「物理的な距離」や「主観に過ぎない信頼関係」や「血縁の関係性」程度のことで、孤独に怯えたり反対に孤独が癒せたりするなんて、単純過ぎるというか「ごまかすなよ」という感じです。

僕が「人は孤独である」となんとなく理解したのは、小学校入学直後のことでした。

ある日の午後、家にある姿鏡に映り込む自分の姿を何気なくみつめていたら、なんとも表現のしようがない、不思議で不安で複雑な気持ちである自分に気がつきました。

そこで、鏡に映っている自分自身と向き合い、心の中で「僕はいる、ここにいる、今こうして考えているのは僕、今鏡に映っているのは僕、今鏡をみつめているのも僕、今瞬きをしたのも僕、それをじっと見ながら考えているのも僕…」と、微細に揺れ動く心の動きと鏡に映る体の動きを客観的に観察しながら、ゆっくりとじっくりとしばらくの間そんな会話を続けていると、突然ある瞬間に”グワン”と衝撃的・暴力的な程のリアルな「生」に襲われて、思わず「うわぁっ」と怖くなって鏡の前から逃げ出してしまいました。

その後も何度か同じ経験を繰り返して、その度に同じ恐怖を感じたのですが、僕がこの経験によって理解したことは、一つは肉体と精神が別々の存在であること、そしてもう一つはこの鏡に映っている肉体は他の誰でもなく自分自身(僕)であって、この肉体と共に人生を歩んでいかなくてはならないという「過酷でシビアな生の現実(リアル)」でした。

多分、普通の人はこのような変な感覚や思考を経験することはないでしょう。鏡に映る自分を客観的に観察することもないし、観察したとしても何も思うことがないのです。ですから、例え「死に対する恐怖」はあったとしても、「生に対する恐怖」を感じることは少ないのだと思います。

でも、この「生に対する恐怖(自分が生身の身体を持ちこの現実世界に存在している恐怖)」を理解すると、人は絶対的に孤独であることも理解できます。なぜなら、この肉体は他の誰でもない自分自身であり、この精神は他の誰でもない自分自身であるからです。

なんだか当然のことを言っているようですが、この圧倒的な現実を感知できない人は「生の恐怖」を覚えることもないし、ひいては人生をリアルに生きていくことはできません。そして、一生涯「嘘・偽り・ごまかし」の中で人生を生きていく結果となるわけです。

ごまかしている人間が孤独死を恐れる

僕には孤独死を恐れる理由が全く理解できません。

恐れようが恐れまいが、人はもともと絶対的に孤独な存在であって、僕もあなたも誰もが知っている著名人も、大金持ちも貧乏人も、誰一人として例外なく孤独に死んでいくのです。先に書いた通り、人生をごまかして生きている人はこのことが理解できませんが。

まさか死んだ後の放置された自分の腐乱死体を恐れているわけじゃないですよね?心配するとしたら後始末をする関係者の気苦労でしょう。

そもそもそういった方は、孤独死の前に孤独を恐れているのだと思いますが、孤独は「惨めで寂しいもの」ではなく、「力強く美しい」ものなのですよ。なぜなら、それが真理だからです。

僕自身は孤独が好きだし、孤独が必要不可欠だし、孤独こそ強くて美しいと知っているので、孤独に対するマイナス感情はないのですが、「孤独」という響きにあまり良い印象のない方はちょっとキザだけど、「孤高」と言い換えたら良いです。

「孤独死」でなく「孤高死」とか。

ちなみに僕の理想の最期は、静かな一人部屋で、心地良いベッドと清潔なシーツがあって、窓から青い空と大自然の緑が見えて、その窓を開けると澄んだ空気と肌に柔らかい風が感じられて、どこか遠くに鳥のさえずりと虫の声が聞こえていて、ベッドサイドには読みかけの古典があって、ときどき人懐っこい笑顔の気が利く看護師さんが声をかけてくれて、と今のところはこんな感じです。

もちろん場所は日本国内でなくて構いません。要は、誰にも気兼ねなく心穏やかに、これまでの「生」とこれからの「死」をみつめていたいということ。

おそらく、いくら「生」と「死」をみつめてみても答えなんて何もないのだと思います。それでも、これまでの「生」をじっくりと振り返り、この後に訪れる確かな「死」をごまかすことなく真摯に迎えることが、存在に対する礼儀のような気もしています。

「惨めで寂しいから」とか「なんとなく心細いから」といった理由で、最後の最後まで人生をごまかし、「死(最期)」を他人に依存してしまったら、そんな人生は嘘なのです。

特に、自分の老後を子供たちに世話してもらおうなんて思っている人は、どれだけ自分勝手な見苦しい考えなのかを反省してください。

「死という確かなもの」を、「家族や知人などの不確かなもの」にすがるべきではありません。自分の死を責任を持って引き受けられるのは自分だけです。

「孤独死こそ尊く、そして美しい」

それは、人生の最期を「嘘・偽り・ごまかし」で穢していないからに他なりません。

コメント:4

16-09-07 (水) 1:35

ときどき人懐っこい笑顔の気が利く看護師さんが声をかけてくれることを求めるんですね。意外です。
孤独を緩和させようとしている行為に思えるんですが。。

ふぁんくん 16-09-07 (水) 10:55

あ様

気まぐれなブログにコメントありがとうございます。はい。サービスを求めています。

もっと言えば、(施設のお世話になるとしたら)ブラックな介護施設は嫌で、富裕層向けの快適な高級施設が良いですね。孤独を緩和させたいという意図はないですよ。記事に書きましたが、もともと人は絶対的に孤独ですので。

読者A 16-09-09 (金) 0:53

こんばんは。辛辣ですね。ただ俺としてもふぁんくんに同意します。

ふぁんくんは高級施設での末日をイメージなさっているんですね。

俺は公衆便所で首吊るイメージです。これも尊く美しいでしょうか。それとも敗残者でしょうか。

現代ビジネスオンラインのセックス爺さんは俺もすごいと思いました(昔読んだバルザックの『ゴリオ爺さん』を思い出しました)。なんかその後は女に泥棒されたらしいですが。

ふぁんくんは以前のブログの内容からはデリヘルとか風俗は時々利用なさっているんですね。

俺が一番ハマった風俗はドイツのFKKです。

残念なのはふぁんくんの、ライフスタイル(食、ファッションetc)やナンパ活動をもうブログという形ではうかがえないことです。

ふぁんくん 16-09-09 (金) 1:42

読者A様

コメントありがとうございます。公衆便所での首吊りは尊くも美しくもないですね。

僕的には、あらゆるものを手に入れ、味わい尽くし、そしてその全てを捨て去った終末が身軽で良いな~、と思っています。

ゴリオ爺さん面白そうですね。読んでみます。風俗サービスはもう1年半くらい利用していません。訳あり女性と接触するのに抵抗があるのと、やっぱり風俗だとワクワクドキドキの興奮要素がないので楽しめない(※FKKはちょっと興味アリ)。ナンパやセクシャル系もそのうち書くと思います。

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